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「着ているものを“黒獣”に転変させて、武装と出来る異能、か。」
随分と煤けた場所だが、まだ国内ではあるらしく、
コンクリートや漆喰ではなく、年季が入ってそうな石積みなところが
ウチの拷問用の地下牢獄に似ているなと、芥川はぼんやり思う。
気流を感じるし空気もまま清浄だから、周囲が塞がれたような地下ではないようで。
“僕の異能が判っていながら、手枷だけで拘束を済ませるとは…。”
黒外套こそ没収されたが、目に見える対処はせいぜいそれだけ。
鉄格子のある空間へ放り込むでなし、
結構な広さの同じ室内に、先程の廃工場に居合わせた男ら二人が居合わせており。
何を根拠に逃げ出さぬと思っているのか、
素人なのかと腑に落ちぬまま、こちらを見やる相手をじっと静観しておれば、
「あの虎の少年も欲しかったが、
まま欲をかくとろくなことにならないからね、しょうがないか。」
彼もポートマフィアの所属かな?
ああまだ体が言うことを聞かないかな。
「済まないね。
自覚がなかった異能者には、混乱して暴走する子もいるものだから。」
それへと使う薬をね、ちょっと投与させてもらったんだ、と。
鉛筆のように細い注射器を、その手の先に摘まんでみせる。
「譲渡した先での躾にも引き続き使ってもらう薬でね。
多用すると心を壊すかもしれないが、その方が都合はいいから問題はないのさ。」
ポートマフィアは扱ってないのだね、
だったら君もあんまり詳しくはないかなぁ、と。
くふくふと軽薄に笑う声が忌々しい。
冷たくて苔臭い床に頬をつけていたこちらへ故意に聞かせるよう言葉を紡いでいる彼らだが、
「もうちょっと大人しくしててもらわないとね。」
「そう、追手が近づいているようだしね。」
そんな会話にハッとしたのを、楽しそうに見届けつつ、
今度はシャツ越しに、注射針を二の腕へ突き立てた彼らだった。
◇◇◇
「いくら機動性があって便利でも、あんな目立つものを脚にするものじゃあない。」
そもそも相手の拠点の候補なぞあっさり割り出せていたし、
あんな目立つ逃走をやらかしたのだ、
乱歩に頼らずとも何処へ逐電したかなんて見失いようがなく。
見逃すまいと阿呆のように蒼穹ばかり見上げずとも、
その行く先へと問題なく辿り着けていた太宰は、
先刻立ってた廃工場のお隣、
かつては大型船を次々と生み出していたドック跡の
広々とした船渠の中央に立っており。
まだ何とか陽のあるうち、それでも冬の短い日は既に茜の気配を滲ませていて。
身を切るような冷たい風が吹き抜けては、
太宰が羽織る長外套を裾から持ち上げ、バタバタたなびかせる。
人員はそれほど抱えてはいないのか、
この広々とした空間に、ずかずかと入り込んでいること自体、
いかに守りが脆弱だったかが知れると嘲笑う長身の侵入者へ、
「済まなかったね、歯ごたえがなくて。」
「我々は合理化を優先しているのでね。」
いつ来るとも判らぬ不特定な侵入者への対処など、
警報レベルで十分だと構えているのだよと。
自動化されてあった様々な“防犯装置”が
ことごとくイントラネットの混乱から働かなかったことを
白々しくも弁解した負けず嫌いが笑えたが。
あの廃工場に居た、頭目格幹部だろう二人連れが、
律儀にも揃ってお出まししてくれて。
「これはまた、何とも麗しい御仁だね。」
「しかも異能者だ。他者の異能を無効化できるようだよ。」
それはいいと大仰な手ぶりで感激して見せる片やは、だが、
「案じずとも大丈夫だよ?
異能を持たない相手には何の脅威にもならない身が、さぞかし歯痒かっただろうね。」
同情したいかのようにそうと言い、
「ウチには、そう、ポートマフィアにも負けない精鋭の駒が揃いつつあるんだ。
キミにはそれを指揮してもらってもいいかな。
異能からの影響という点で自分の身は守れるのなら、
前線へ出ても大丈夫だろうからね。」
「おや。まさか私まで取り込むつもりでいるのかい?」
これは驚きと、外国人のように長い腕をひょいと持ち上げ、
ようよう様になった身振りで肩をすくめる太宰なのへ。
特に動じず、笑って見せる相手方だが、
彼らが出て来た刳り貫きの出入り口へと肩越しに目線を投げつつ、
「この彼は、もしかしてキミの知り合いなのかなぁ?」
「いやいや、真っ当な探偵さんみたいだから、あんな組織に知り合いはおるまいよ。」
身動きしずらいか、のろのろと出てきた存在へ、
やや苛ついたように眉をひそめた片やの男が、
大股に歩み寄ると純白の手套が錆びに汚れるのも厭わず
両手をつないで封じてあった手枷の鎖をぐいと引き。
たたらを踏みそうになった痩躯の青年を、太宰の前へと引っ張り出す。
「この彼は、何とマフィアの先鋒でね。」
泣く子も黙るヨコハマのマフィアも、この薬に掛かればこの通りさと。
重たげに瞼が降りかかっている陶然とした顔、細い顎へ手を掛けて上向かせ。
この寒い中、上体は白いデザインシャツだけの身だのに寒くはないのか、
何の反応も見せぬのを見、くつくつと楽しそうに笑う手套男で。
「反抗的な眼をしていたがね、
これを投与してやったら大人しいものさ。」
常習性もあるからあまり頻繁に使わない方がいいのだが、
この彼は綺麗な見栄えにもかかわらず、それは凶暴な異能を持っているからねぇと。
恐らくはそちらが異能当ての異能者なのだろう、
黒ぶちメガネの男がいかにも同情的に眉を寄せつつ、
それでもその手に構えた注射器を、容赦なく青年の首へと突き立てて。
「…っ。」
さすがに痛覚はまだ健在か、ひくりと薄い肩が震え、
短い前髪の下、虚ろだった双眸が一瞬だけ弾かれたように見張られる。
慈悲も何もないよな機械的な手際で、薬品の投与を済ませた眼鏡男は、
力なくその場へしゃがみ込んでしまった青年へ、
そっと顔を寄せ、耳元で聞えよがしにこう囁いた。
「彼方の男性へもてなしを。
我らの言う通りにせざるを得なくなるように、手酷く歓迎してやりなさい。」
囁いたそのまま、手枷をしたままな上から双肩へ黒い外套をかぶせてやれば、
時折吹きすさぶ北風とは関係のない動きではためいていたそれが、
するすると命を得たように青年の痩躯へまといつき。
「……。」
幽鬼のような覚束なさでゆらりと立ち上がったその身へ、
もはやしっかり巻き付いた外套が、
拳2つ分も狭間がない鎖の枷で封じられた手の代わり、
いやさ見栄えは翼のように大きく広がり。
首も座らぬ様子の青年を半ば操るように立たせると、
天使というより悪魔のそれのような翅膜、ばっさと大きく煽らせて。
足元を僅かほど浮かせた主人の身、氷上へすべり出すよに運んでゆき、
さほど動揺は見せぬままでいる、蓬髪の美丈夫の目の前へまで運んでゆき。
「…。」
骨ばった手がゆるゆると持ち上がるのへ連動してか、
翅膜の先も高々と頭上まで持ち上がり。
鎖の長さの限界か、そちらは手元でピンと張ってそれ以上は上がらぬが、
翅膜の先は蛇の鎌首のように歪曲して中空にとどまると、そのまま一気に振り下ろされる。
「おやおや。」
「加減を教えるのは間に合わなかったかなぁ。」
自分たちの周辺を嗅ぎまわっていた探偵ごとき、どんな異能もちでも惜しくはないか。
致命傷でも問題はないと、くつくつ厭味に笑う男らだったが、
「…次亜ペンタトリルS3型です。」
「おやまあ、そんな安物しか手に入らなかったのだね。」
何年前の導引剤だ、確かキミへの耐性試練の一番最初に投与したんだっけね。
是。
あの時はさすがにひっくり返ってしまったね、と。
重力も風も無視して裾から伸びた鎌首が大きく持ち上がってはためく外套の、
本来の襟元を太宰の手がやんわり掴めば、
魔獣の翼のようだった黒外套は普通の衣類へ戻ってしまい。
肩に掛けていただけのそれ、手づから丁寧に腕を通させてやるのを見て、
「な…っ。」
余裕綽々だった拉致犯の男らがぎょっとする。
鎖付きの手枷があってそんなことは物理的に出来ないはずだと目を剥いたが、
囚われの身の筈な二人の足元へがちゃりと落ちた武骨な手枷は、
刃物で切ったように滑らかな断面を冬の陽に照らされており。
「まさかさっきの黒獣は…。」
「手枷を斬ったのか?」
だが待て、意識を朦朧とさせる洗脳用の薬を、短時間のうちに何度も投与したはずと。
まだ現状が信じられない悪あがき、
嘘だ嘘だと焦る男らへ、
「ポートマフィアを舐めてもらっては困る。」
覚束ない表情だったのはどこへやら、
鋭と冴えて錐のように尖った眼差しに集約されよう、それは禍々しくも険しい表情を、
くるりと振り返りつつ、こちらへ突き付けてきた黒衣の青年。
「そうだね。大概の毒物や薬物へは耐性が付くように訓練されている。」
若い身で幹部格に居る彼なぞは、
幼い身で試されても死ななかった図太い組だと
その健在さでもって証明しているようなものでねと。
ただの市井の探偵の青年が、そんな風に説明する辺り、
「まさか…。」
今になって、この役者のような風貌の男が、
他でもない黒獣の支配者の知己らしいと察したが、
「羅生門。」
荒れたセメントの床にひたひたと波打つように広がるは、黒獣の転変したそれか。
急を告げた状況に慌てて携帯端末を取り出した片やの男の足元へ巻きつくと、
ぎりりと勢いよく締め上げたものだから、
「ぎゃあっ!」
何かしら鈍い生き物を潰してしまったかのような聞き苦しい悲鳴が上がって、
「ボスっ!」
「どうしましたっ。」
今になってわらわらっと、
数か所あった出入り口から相手方の配下らしき輩たちが飛び出してくる。
余裕を見せて二人で相対していたのだろうが、
形勢逆転もいいところで、大きに焦ったそのまま非常事態だと招集をかけたらしく。
圧倒的に多勢に無勢としか見えぬ形勢なれど、
「動けるかな。」
「当然。」
余裕を一度も崩さぬままな師の前へ、すっくと立った黒獣の覇者。
弱っていた振りももう要らぬとあって、剣呑な顔つきのまま外套の獣を再び起動させ、
地べたを覆っていた闇だまりを引き寄せると。
銃器を手に手にこちらへ向かって来る構成員たちを
鞭のようにしならせた一閃で薙ぎ払って一掃し、
続く二陣は長太刀のような刃と化したそれで、器用にも銃器のみを細切れに切り砕く。
「く…っ。」
たった二人、いやいや具体的に受けて立っているのはたった一人に歯が立たぬ戦況で。
もはやこれまでと感じたか、
あれほど居丈高だった幹部二人、悔しげに顔を歪めると、
船渠として穿たれた部分のやや外れへ一目散に掛けてゆき、
そこにうずくまっていたヴィトールへと乗り込んで、
「ありゃまあ。この期に及んで逃げる気だよ。」
帝都には及ばないが、それでもここいらの制空圏は結構混み合ってるはずで、
逃げ出すどころか正規の航空機と鉢合わせて事故を起こしかねないのにねぇと。
頼もしい羅生門が敵方の下っ端をやや八つ当たり気味にザクザク仕留める地獄絵図の向こう、
小手をかざして太宰が暢気に見守れば、
「芥川っ!」
ちょっとした城塞のように、結構な高さで周縁を取り巻いていた仕切り壁も何のその。
壁を駆け上った勢いそのまま、中空に高々とその身を躍らせ、
置き去りにされてあった造船重機の塊のうえ、
その身を雄々しくも躍動させ、身軽にひょいひょいと飛び渡って駆け付けたは。
純白の毛並みの麗しい、だがだが十分頼もしき巨大な駆をした白虎と、
その背へまたがっていた中也という“二人連れ”であり。
「無事かっ!芥川っ。」
「はい。」
間近まで寄ったついでに虎の重量でも何人か、
作業着姿の敵方の配下を踏み潰した大雑把さよ。
がるるるといかにも恐ろしい低い低い重低音で唸っているのは、
大型獣の虎だからというよりも怒り心頭だからだろう。
「中也、敦くん。」
わざわざ確かめるまでもないと、
触れたら戻ってしまおう虎へは しっかとした視線だけで呼びかけて、
「あのヴィトールに親玉が乗ってる。」
「…っ、任せろっ。」
丈夫な毛並みに掴まってた手、
手袋越しでもぎゅうと掴まれたことで意が通じたか、
ちらと芥川を見やった虎が、
それでも潔い身の捌きようで反転すると、
今にも離陸しようとする忌々しい垂直離着陸機へ稲妻のような疾走で追いつき、
「重力操作っ!」
ぶんっと振り下ろされた帽子の幹部様の双碗が繰り出した異能、
“汚れちまった悲しみに”をこうむって。
目に見えぬほど回転していたローターがぺきぱきと飴細工のようにへし折れ吹き飛び、
それでとどまらず、機体自体も銀紙のようにしわしわっとひしゃげてゆく。
「ひいぃいっ」
「た、助けてくれっ。」
内部からでも装甲が脆くもひしゃげてゆくのは判ったか、
スライド式の厚い鋼の扉ががたがたと乱暴に引き開けられて、
一応はスーツ姿だった男二人が先を争うように飛び出してきたのへと、
「がう。」
それは雄々しい虎の前脚が たしたしと、
蠅でも叩き伏せるかのように軽快さで、だが一切の容赦なく。
頭や肩をどついて石敷きの地べたへ埋め込んだのでありました。
◇◇◇
「芥川〜〜〜っ、馬鹿だよバカバカバカ、ホント、馬鹿〜〜っ!」
個々の失踪ではなく、一連の誘拐事件であるという証明のためにも、
拉致してった人たちをどこに監禁しているのか吐かせる必要があり。
そういった対処には、ポートマフィアからの協力があったことを考慮して、
攫われた被害者の中から彼方側の人々を選り出してから、
正式な取り調べを始める段取りが組まれることとなり。
中也の怪力無双で無造作に束ねられた一味を傍らに、
それら諸々の手配、国木田や谷崎へと太宰が携帯で通知している間にも。
それも太宰が触れて異能による転変から戻した、頼もしい白虎こと敦くんが、
手首をぶった切るなんてな方法で、問答無用とばかり自分を置き去った芥川へ、
万感の想いごと ひしとしがみついており。
「無事でよかったけど、ホントに無事なのか?
叩かれたりしてないか?
あのくらいで済ませてやったなんて足らないよね?」
頼りないほど細いが、骨格はしっかりしている身。
抱え込んだり抱え込まれたりして覚えてる、その質感は間違いなくて、
目に見えて損なわれてはないと判るけど。
力づくで攫っていったなんて無体を許せるものかと、
真っ当に犯人たちへと怒ったかと思えば、
「何であんなことして引き剥がしたんだよ。ずるいよぉ。」
手首をすっぱり切られたこと、酷いではなく狡いと言う。
連れ去られる芥川だったのへ、文字通り手が届かなんだのを、
どれほど歯痒かったかと切った当人様へ激しく怒ってもいて。
「…人虎。」
にやにやと見やる中也からの視線が恥ずかしいやら、
やはり苦笑が引かない太宰に、いろんな意味から遠慮が立ってしまうやら。
ガタイは育っても中身はまだまだ子供に近いこの少年を、
強く引き剥がせぬのは、それらからだけじゃあなくて。
泣きながら怒ってた、何でどうしてと混乱していた
さぞや痛かったろうに、それは二の次と抛り出し、
自分から無理やり引き離されて、
ただただ地上へ落ちてく彼のその顔が、
どれほど遠ざかっても、あまりに愛おしかったから。
そんな非道をした兄人としては、
泣きじゃくられても責められても、甘んじて受け止めねばならぬだろうと。
もうすっかりと元通りの右手をそおと撫でながら、
実は結構義理堅い漆黒の覇王様、
しょうがないなぁと目許を弧にたわめ、
駄々をこねる弟分を、よしよしと不器用そうに宥め続けるしかないのであった。
〜Fine〜 18.01.14
*一気に書いたので雑が過ぎる出来ですいません。
中也さんたら見せ場が最後にちょこっとしかなかったですしね。
これをいつもの調子で書いてたら、
あちこちの描写とか伏線とか、思うところとか挟み込むことで、
一カ月以上はかかっただろうと思ったわけですよ、はい。
でもでも、どうしてか、芥川くんと太宰さんのコンビネーションとか、
ウチの新双黒は仲いいぞというところとか、
書いてみたかったんですよね。
妙な“逆お年玉”を書き散らかしてすいませんです。

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